野津手八幡宮
      所在:松末星丸
鳥  居 本  殿
 野津手八幡宮は林田、穂坂、池田、星丸、大山、松末の産神にして、昔この地方は乗手の郷と言い宇佐八幡の神領であったが、寛永7年、時の領主だった栗山大膳の命によって、宇佐八幡宮を勧請したものであるという。以前は林田に鎮座ましましたが、土地が低く神域にふさわしくないというので、貞享3年(1686)9月、現在地すなわち拝松に遷宮したものである。
 産徒中に神家と称する者16人あり、六郎丸に住して祭事を執り行う。その元宮の地を開墾して3反7畝12歩の杜田とし、その禄米を以て社祠の終覆等に当てるならわしとなり、今も終覆免とか御幣田などの田字が残っている。
 天保6年(1835)8月には遷宮150年祭が行われ、三日間も賑わいが続いたという。
 祭は昔は正月1、2月初卯、3月3日、8月15日、9月29日、十月初卯、十一月初卯の七度で、16戸の神家がこれを施り行ったというが、今は形ぱかりとなり、秋の大祭には助貞まで御輿の渡御がある。
 昔はかなりの大社であったが天正8年大友宗麟に焼かれたために、大切な神宝重器の類はすべて失われ、したがって古事を語る何物も残っていない。秋月氏旺んのころは郡代が祭り座についたが、小早川隆景が筑前領主となってからは、この郷六カ村の庄屋池田の井手新ヱ門が御郡代座を賜わりその後、その子孫が長く祭座に列した。
 神殿は二間に三間、拝殿は三間四方、ほかに根囲り六尺、高さ一丈五尺八寸の石の烏居があるが、磨滅して建立の年月を知ることができない。大友宗麟に杜屋を焼かれた時、宝蔵も炎上したため御幸も途絶えていたが、正徳3年(1713)から再び御神幸が行われるようになった。
 なお、元文、寛延、明和、文化年間に奉納された石灯篭あり、拝殿には沢山の絵馬が奉納されてある。また、元宮の地には大正14年に建てられた「八幡宮旧蹟の碑」がある。



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